ひとりごと

意味があったりなかったりします

ブラインドタッチ

楽譜を見ながらピアノを弾くことが苦手だ。いや、苦手というよりできない。

そのため、初見演奏はもちろんのこと、譜面を見なければ止まらず音ミスもなく弾ける曲も、鍵盤を見ないとなると、歩き始めの幼児のようになる。

なかなか弾けるようにならない。何十回やってもヨタヨタ歩きが治らない。

だから練習の数をこなしていくうちに、結局は覚えてしまう。譜面を見ると弾けないけれど気づけば頭で暗記してしまっている。楽譜なしで流れるように弾けるようになる。

しかし、音楽的に弾けるようになるまでにものすごく時間がかかる。指に覚えさせるための時間、何度も繰り返し同じパッケージを練習する時間。曲のイメージと色あい。これらを身体に染み込ませるために時間を費やすのだ。

この時間を省くには譜面を見ながら弾くことができる方がいい。それに、譜面を見ながらすぐに弾ける人は驚くほどたくさんいる。これがピアノを弾ける人だと私は思っている。

こんな人を見てしまうと、私の人生の時間の100倍くらいは生きている人なんだろうなと思い、俄然羨ましくなる。

ただ、すぐに弾けて楽しいのだろうか、という疑問も出てくる。

太鼓の達人のように、少し先を読み、その通りに鍵盤上で指を素早く動かす。リズムや音を正確に読み、フレーズの流れをわかって弾く。脳の情報処理能力が高い人なんだろうと思う。

譜面を見ながら(特にほぼ初見の曲を)弾ける人は、私のなかでいつでもアインシュタイン並みの天才だと思っている。

ピアノのブラインドタッチができなければ、パソコンのキーボードのブラインドタッチもできない。

それなのに、毎日やっているエコー機の左手の操作はブラインドタッチをしていることに気づく。ただ、エコー機は指一本でボタンを操作すればいいから、ピアノの鍵盤とはまた少し違う気もする。でもエコーはモニターを見ながら右手で映したいように角度を微調整し、左手で流速を測ったり、動画を入れたりしている。確実に手元はみていないんだよなぁ。

ピアノでもできればいいのに、とずっと思っているけれど、そんなこと言ってたら人生終わりそうだから、結局は我流で、まずは一小節、どんな手を使ってでも(譜面をみてもみなくても、鍵盤にかじりついても)最高に美しく弾くことを心がけて練習するしかないのである。

なぜこのように、定期的にブラインドタッチの言い訳をしているのかというと、私がやっとの思いで100m走り切ったときに、隣で誰かが、いとも軽々と10km走り終わっていた感覚だから。同じ時間でこれだけの差がついてしまうと、馬鹿馬鹿しく感じてしまう。

だから、最近は10km走る人がわんさかいる事実を歪曲し、人類はじめて100mを走り切る人かのような気持ちでピアノの練習をしている。

人類至上はじめてこの曲を弾く人であれば、どんな手を使ってでも精一杯楽しんで、かつ、なんとしてでも弾いてやろうと俄然やる気が湧き上がる気がしている。

 

2022.6.23